勝利至上主義ではなく育成指導主義の考え方(限りない伸びしろを持たせて・・・)
常に話し合い、意見を出し合い、創意工夫で取り組むことを心がけています
札幌中央フットボールクラブが大切にしている一番の指導コンセプトの部分は
勝つ事だけに固執せず、勝つ事だけのチームにせず、できれば今が上手にできなくても、
この先の将来で自分がサッカーにどんな形でも関われるような、生涯スポーツのひとつとして
子どもたちが将来サッカーという競技をひとつのツールとして用いてもらえるような願いがあります。
そのため、勝利至上主義ではなく、育成指導主義の考えを貫いています。
「すべての選手に多くの試合出場機会を・・・」
創部以来、年間120試合をこなす札幌中央の目的は、すべての選手にわずかであっても出場機会をつくることでした。
できれば、本音は、大きな大会で、1試合でも勝ちたいです。
しかし、彼らにとっての、本当の「勝ち負け」は、何なのでしょうか・・・。
技術に特化して戦術を徹底的に教え込み、運動能力の高い選手を集めて勝つよりも、
同じ小学生、同じ教科書、同じ給食を食べて、同じような遊びをして、同じような食事をとっている子たちと
もしかしたら、サッカー以外のことだったら優っている仲間もいるかもしれないけど、
なぜ、サッカーだけがこんなに差がつくのだろう・・・。
スポーツの世界において、勝敗を決しなければならないのは当然ですが、
それだけに固執することが本当にこの世代には必要でしょうか?
名高いクラブチームとご縁があって対戦させていただく際、一部の方ではありますが、
私たち指導者に対しても勝ったことを誇らしげにされている対戦相手の保護者の方をお見受けすることがございます。
もちろん、勝てたらうれしいものです。私たちもなかなか勝つ事はできませんが、勝った時は素直に喜びを表現するように教えています。
しかし、勝てたのは、応援の保護者のご声援や、指導者の素晴らしい指導力がすべてではありません。
むしろ、その試合に出た、または出ようとしてベンチに控えた子どもたちである選手の力で勝つことが出来たと考えています
逆に言えば、価値観の違いではありますが、 失敗から学ぶことがあるとすれば、敗戦は大きな学びです。
勝つことから遠ざかると気持ちも萎えてしまいますが、果たして代表権をとることが、勝ち続けなければスポーツじゃないのでしょうか?
勝利至上主義であり続けるチームには伝統もあり、また、有能な選手も集まるからこそ、勝つことを宿命づけられている場合もあるでしょう。
しかし、そこで技術の差だけで将来の上下を決定づけるべきものではあってはならないと思うのです。
小学校や中学校の時に技術の差で「控え」だった仲間が、ずっと大人になってもそういう目で見られる要因であってはならないと思います。
育成指導主義だと言い続ける札幌中央の根底には、その昔、サッカーをしたくても試合に出ることができなかった指導者の悔しさや、
様々な問題に阻まれて試合に出ることができなくなってしまった少年団時代の仲間たち、サッカーは好きだけど試合前になると緊張して
良いパフォーマンスを見せられず悔しい思いをしてきた仲間たちが作り上げてきたチームです。
そんな逆境からのスタートの中で、将来的に自分の意志で次のステージを選び、より一層上を目指す選手であっても十分通用するような、
また途中でエンジョイ・プレーヤーになってもしっかり楽しめるような基礎技術の反復と応用理解度の解釈を徹底的に重視しているチーム
でありたいと考えています。
創部してまだ歴史の浅いチームですが、在籍中にはこれといった大きなタイトルは獲れなくとも、ほぼ全員の卒業生がサッカーを続け、
半数以上が1年生次より試合に出場し、各種トレセン(トレーニングセンター)に選出されるなどの好成績を残してくれています。
勝って喜ぶのはその時だけ。 生涯につながる学びで自分のモノにできたら一生の喜び。
今勝てて喜ぶのが選手よりも保護者になっている方は、 将来、どうなっているのでしょう…。
確実に、保護者よりも選手の喜びになれるように伝えていきたい…札幌中央としては、そんな風に感じております。